鈴木榮重(静岡県)
1994年絵手紙と出会う。2004年に椿と出合う。藪椿の想い紅い色に、心奪われて、追い続けている。かいても、かいても、毎回異なる表情をみせる、椿にいろいろな顔がある。108つの煩悩がある、椿を通じて自分の心をかく。
田口孝夫(東京都)
2010年は「2月3日絵手紙の日」制定記念の年。そんな中各地の「自主企画」にお声をかけていただきました。皆さんの絵手紙に寄せる熱い思いを肌で感じ、元気をいただきました。その一端を交流した絵手紙を通じて紹介したいと思います。
田崎弘子(熊本県)
田崎弘子・熊本県宇城市三角町在住  日本絵手紙協会評議員・各カルチャー講師  葉書サイズの暮しは心地良くて素直になれるひと時でもある。続けていると少しずつ進化していく明日の私に出会える。2011年の私カラーは何色?
田中 勲(東京都)
1991年 脳出血で倒れる。  2000年 小池先生の「絵手紙のすすめ」に感動。大きな紙に絵手紙第一号発信。 2001年 「とことん落ちても光はある」出版と記念展開催。“絵手紙でこんなに元気になるよ”そんな絵手紙を発信したいと思います。
田中初子とひたむきな仲間たち
野の花から始まった絵手紙。今も教室ごとに野外に出るのを楽しみにしている。野の花は季節を教えてくれるバロメーターだ。しかし今では、生活を通して感じたものをすべて、表現し続けている。近作は裏彩色の木版画に力がみなぎっている。野の花を墨で表現しようと必死でもある。
松尾ちゑ子(東京都)
絵手紙歴20余年齢傘寿。峠に登り来て腰を伸ばせば、来し方行く方の難儀の道も見えようと言うもの。私にとって絵手紙は「倶会一処」人を生きる必修科目。出会えたことに大感謝だ。この度は来し方の心跡を拾い集め、新しき生命の旅立ちの糧にしたしと。
筆遊び人 森千景と木の花会の仲間達
失敗は発見の扉を楽しんで、絵手紙や遊び文字交流の輪が広がりました。発見の扉はさらに出会いの扉を広げ心と心を結びます。フェスティバルでは残していきたい日本文化の古い郷土人形などをテーマに参加させていただきたいと思います。楽しみにしています。